薩長同盟締結の陰に、中岡慎太郎の人脈とコミュニケーション能力!
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第45回 ~中岡慎太郎
○人脈60%(偏財)
人脈は、気遣いができて優しく、誰とでもコミュニケーションが取れる星。そのため人脈が豊富で、人に支えられる。また、お金の星でもあり、お金に縁がある。中でも、「偏財(へんざい)」は、幅広い人脈を持つ。お人よしで断れない性格のため、分け隔てなく様々な人脈を引き入れる。そのため、人に騙されやすい面もある。また、「偏財」は恋愛運の星でもある。慎太郎はこの星を3つを持っており、この性質が強まっていた可能性がある。
また、月柱の蔵干通編星は「主星」で、オフィシャル面の性格を示す重要な星であり、日柱の蔵干通編星は「自星」で、プライベート面の性格を示す重要な星であるが、この2つが性格読み解く上で重要な意味を持つ。この大事な部分両方に「偏財」が入っているということは、「偏財」が慎太郎の中心的な性格だったとともに、オフィシャルとプライベートともに同じ、つまり裏表のない性格だったと解釈できる。
人脈が広かったという点はうなずけるだろう。土佐藩から脱藩した慎太郎は、その後長州に身を寄せる。そこで、尊王攘夷派として禁門の変、下関戦争を戦い、桂小五郎や高杉晋作といった中心人物と信頼を築いていく。そんな中、当時対立していた薩摩藩と長州藩が手を組むことにより、新しい国づくりができると確信した慎太郎は、同じく土佐藩出身の坂本龍馬を巻き込み、岩倉具視と提携しながら、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀等を口説いていく。薩長同盟の締結において、龍馬の存在が大きく取りざたされるが、薩長同盟を持ちかけたのは慎太郎であり、慎太郎の人脈なくしては成功しなかったと言われる。慎太郎の人脈とコミュニケーション能力が功を奏したのだろう。
また、慎太郎のコミュニケーション能力の高さを表すエピソードがある。龍馬の妻、お龍は、慎太郎について「いつも私を見るとからかう面白い人だった」と回顧している。「お龍さん、僕の顔に何か付いていますか」等と問いかけたという。このように、気さくで壁のない性格だったのだろう。
刺客に襲われ亡くなった慎太郎だが、それこそが、お人よしで騙されやすい性格を物語る。事件が起きた1867年11月15日、この日は17時頃から、近江屋に潜む龍馬を訪ね、その後、元新選組の伊東甲子太郎も交えて2時間ほど話をした。甲子太郎は別れに際し、「新選組、見廻組のなかにつけ狙っている者がござる。町屋に2人だけというのはいかにも危険。そうそうに藩邸へお移りなされ」と忠告した。慎太郎は「ご注意かたじけない」と答えたというが、ある意味人がよく、無警戒だったのだろう。そのまま近江屋に留まった2人はその少し後、2人組の刺客に襲われ、龍馬はその場で絶命、慎太郎はその2日目に亡くなっている。
○遊び心20%(傷官)知性0%
生活に遊びを自然に取り入れることができる星。中でも「傷官(しょうかん)」は、芸術性が高く、ナイーブで傷つきやすい星。交渉能力も高く、頭がキレる。
「傷官」という頭のいい星を持っているが、勉強ができ企画力などがある「知性」は持っていない。これは、慎太郎だけでなく、これまで鑑定してきた幕末の志士に共通してみられる点だ。この時代は、本来の頭のよさよりも、自分の思いを言葉にし、相手を動かす、交渉能力が最も大切にされたのだろう。慎太郎もこの点に優れていた。
慎太郎の功績として、薩長同盟がまずあげられるが、それだけでは、倒幕は進まなかった。慎太郎はその後、苦心の根回しによって、薩土密約を結ばせた。土佐藩の板垣退助らと、薩摩藩の西郷隆盛らを引き合わせ、土佐藩は「戦となれば、必ず兵を率いて薩摩藩に合流する」とその決意を語った。さきに薩長同盟締結があって、さらに薩土の結びつきがなければ、倒幕への勢力が加わらないことを慎太郎は良く知っていた。頭の中で計算し思い描いていたことを実現させる…これぞ傷官、交渉能力の賜物だろう。
○行動力20%(正官)
行動力とは、頭で考えるよりも行動で結果を出そうとする星。中でも「正官」は真面目で責任感が強い星である。
土佐藩士で、その後政治家として活躍した、田中光顕は、後に慎太郎と龍馬を比較し、「慎太郎はまじめで謹厳な男で、くらべれば西郷吉之助に似る。龍馬はまったくちがって豪傑肌で、くらべれば高杉晋作に似る」と話している。龍馬は開けっぴろげで豪快な性格だったのに対し、慎太郎は慎み深く、実直な性格だったのだろう。
隆盛も慎太郎の性格について、「節義の士なり」と語っているが、「節義」とは、節操と道義であり、人としての正しい道を踏み行うことだが、これこそ武士道を説明した2文字であるともいわれる。信頼するに値する、愚直な性格だったのだろう。